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第1回 「三輪山西麓の磐座を訪ねて」

はじめに
 「ちょっと寄り道」の記念すべき第1回目は、私たちの埋蔵文化財センターの近くにある三輪山西麓に点在する磐座に関するお話から始めたいと思います。
 奈良盆地の東南部に位置する三輪山(標高 467.1m)は、全山鬱蒼とした常緑樹に覆われ、一際優美な姿を見せているところから、古くから神奈備山(かんなびやま)として、人々から信仰の対象として崇められてきました。また、三輪山西麓の初瀬(はせ)川と纒向(まきむく) 川に挟まれた三角形をなす扇状地は、古代より「水垣郷」と呼ばれ、神聖化された場所とされてきました。しかもこの地域には「磐座(いわくら)」と呼ばれる石を用いた祭祀の場所が数多く点在しています。






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優美な姿を見せる三輪山

磐座信仰と三輪山祭祀
 磐座は、神が降り立つ(降臨する)神聖な場所、つまり神籬(ひもろぎ)の一種なのです。また磐座は、御座石や腰掛石などともいい、祭祀のおこなわれる場所として『記・紀』や『延喜式』にもその記載がみられます。三輪山西麓に磐座が数多く点在する理由は、三輪山が古くから信仰の対象とされてきたからで、西麓に位置する大神神社は本殿がなく、三輪山を御神体としているのもこのような理由によるからです。このことから三輪山全体は禁足地として現在まで樹木の伐採はもちろんのこと、人々の立ち入りも拒否してきました。三輪山のように山そのものを御神体として崇める信仰は全国に見られ、長野県の諏訪大社や栃木県の日光二荒山(ふたらさん)神社などは、その典型としてよく知られています。神社は元々本殿を持たなかったといわれていますが、山を神が宿る山、或いは神が降臨する山として信仰の対象とする祭祀形態は、神奈備信仰とも言われ、古い祭祀形態を留めています。
 神社のことをよく「杜(もり)」といいますがこの「杜」は「森」のことで、神が宿る場所を表しているといわれています。したがって、鬱蒼とした木々に覆われている山を古くから神が宿る「森」として信仰の対象に考えてきたということは、至極当たり前のことで、三輪山も古くから人々の信仰を集めてきた所以でしょう。すなわち神道ではこの「森」が「神籬」であり、これを神が宿る依り代(よりしろ)としているわけで、神事を行う際には必要不可欠なものとされています。現在では、ムシロを敷いた八脚の案の上に木綿(ゆう)と紙垂(しで)を取り付け、真ん中に榊の枝を立て聖域としていますが、本来の神籬の形は神々が宿っているとされる場所に常磐木(ときわぎ=榊等の常緑樹)を植え、その周りを玉垣で囲んで聖域とし、古代においては神事の度にこの神籬を設けていたようです。それは磐座のように石や岩をそれとし、あるいは注連縄で囲んだ場所でもよかったわけです。このような理由から、三輪山西麓では古代より三輪山を神奈備山として崇め、多岐にわたって祭祀が行われてきた結果、磐座が数多く点在しているのです。

磐座の調査
 三輪山の麓、狭井(さい)神社から北東に山道を少し登った所に山ノ神遺跡があります。この遺跡は、大正7年に奈良県によって発掘調査が行われ、 1.8m× 1.2mの巨石の下から、小型の素文鏡・碧玉製や水晶製の勾玉・滑石製の子持勾玉・有孔円板・剣形製品・管玉・臼玉の他、高坏・盤・坏・臼・杵・匏・匙・箕・案(机)・鏡を模した土製模造品・剣形鉄製品など多くの遺物が出土しました。これらの遺物には、4世紀後半から6世紀前半頃までのものが見られ、この場所で繰り返し祈りが行われていたと考えられます。研究者の中にはこれらの遺物を、それぞれ鏡・玉・剣等のいわゆる「三種の神器」にあてはめ、小型素文鏡(鏡)・碧玉製勾玉(玉)・剣形鉄製品(剣)といった4世紀後半から5世紀前半までのものと、滑石製模造品でも形式的にやや新しい様相を持つ5世紀後半から末の双孔円板(鏡)・子持勾玉(玉)・剣形製品(剣)の二つのグループに分けて、各年代における祭具の変化を指摘する人もいます。またこれらの遺物の中には、平安時代に記された『延喜式』の中に出てくる酒造りの道具と共通するものもあり、「臼と杵を使って脱穀した米を箕で籾殻をふるい、酌でくんだ清水を坩(壷)に入れて醸し出す」というように、これらの遺物を酒造りの祭祀具であるとする考え方もあるようです。このことは三輪山の神は古くから、酒造りの神としても崇められ、万葉集には、三輪の枕詞に「うま酒」という言葉が使われていることからも容易に想像することができます。
 また昭和40年には、山ノ神遺跡の西方の奥垣内遺跡から、磐座の傍より須恵器の高坏・坏・長頸壷と共に滑石製臼玉を収めた大甕・双孔円板・土師器や朝鮮半島の陶質土器などが出土しており、5世紀後半から6世紀初頭(陶質土器や土師器については、4世紀末から5世紀初頭)が考えられています。さらに三輪山南西 1.5㎞にある上之庄遺跡では、平成8年に4世紀後半の滑石の玉造工房跡が発見されました。三輪山祭祀で使用される滑石製模造品を造る工房であった可能性が高いと考えられています。このようにみても三輪山西麓では、少なくとも4世紀後半ごろには滑石を使った信仰が始まっていたと考えられます。

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磐座の所在地・名称 備    考
磐座の所在地・名称
備    考
1 三輪・オーカミ谷磐座群
奥津・中津・辺津磐座
10 大神神社境内の夫婦岩
別の場所から移設?
2 三輪・禁足地裏磐座群
  11 大神神社禁足地
子持勾玉・勾玉・臼玉等
3 三輪・檜原神社境内
三ツ鳥居奥 土製模造品
12 自動車お祓い所入口
西方約10mから子持器台等出土
4 芝・九日社のマラ石
陰石と陽石2個
13 三輪・綱越神社
境内に2か所
5 三輪・貴船神社
辺津磐座か?
14 三輪・素盞鳴神社の回り石
2個
6 三輪・山ノ神遺跡
玉類等の大量の祭祀遺物
15 三輪・平等寺の影向石
ようごういし
7 三輪・奥垣内遺跡
須恵器大甕 滑石製品等
16 三輪・平等寺の人像石
頭を突き出したような姿
8 三輪・若宮社の御饌石と
安産岩
2個 御饌石(みけいし) 17 三輪・平等寺の陽石 岩屋不動の祠へ移設
9 大神神社境内の磐座神社 玉垣の中 人頭大 18 金屋・志貴御県坐神社 4個 磯城瑞籬宮推定地

三輪山西麓に点在する磐座
*上図にあげている磐座の中には、整備等で移動され原位置にないものもあります。

三輪山西麓に点在する磐座
 神々が留まる領域や依り代とされる磐座は、三輪山の山中だけでなく西麓の集落の中にも見られます。その中には、注連縄を張り集落内の神社の境内にひっそりと祀られていたりするものもあります。

yorimiti04.JPG4.九日社 マラ石yorimiti05.JPG5.貴船神社yorimiti06.JPG6.山ノ神遺跡yorimiti07.JPG7.奥垣内遺跡
yorimiti08-1.JPG8.若宮社 安産岩yorimiti08-2.jpg8.若宮社 御饌石yorimiti09.JPG9.磐座神社yorimiti10.JPG10.夫婦岩
yorimiti13.JPG13.網越神社yorimiti14.JPG14.素盞鳴神社 回り石yorimiti15.JPG15.平等寺 影向石yorimiti18.JPG30.志貴御県坐神社

【参考文献】
(財)桜井市文化財協会 『祈りの世界~遺物に込められた先人たちの願い~』桜井市立埋蔵文化財センター展示図録38冊 2011 
寺澤 薫「三輪山の祭祀遺跡とそのマツリ」『大神と石上』 和田 萃編 筑摩書房 1988
松本 俊吉・栢木 喜一 『桜井の古文化 その二 磐座』 桜井市教育委員会 1976

写真をクリックすると拡大します     (文責:公益財団法人桜井市文化財協会 中村利光)