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第4回 「茅原狐塚古墳~県内屈指の石室をもつ古墳~」

はじめに
 「ちょっと寄り道」第4回目をお届けします。
 今回は茅原(ちわら)地域にある茅原狐塚古墳を紹介したいと思います。この古墳は桜井市立埋蔵文化財センターから東へ歩いて15分程のところにあります。古墳の周辺には多くの田畑があり、のどかな風景が広がっています。墳丘には柿畑があるため、遠くからでも比較的見つけやすい古墳です。築造当時には封土(ふうど)があったようですが、後世の削平などにより、石室の天井石や側石が剥き出しの状態になっています。また、古墳のすぐ西側にはJR桜井線(万葉まほろば線)が通っており、線路が敷かれた際に墳丘の一部が削られたようです。そのため、墳形についてはわかりませんが、周辺の様子から、おそらく一辺40 m程の方墳だったと考えられます。

狐塚古墳の概要
 狐塚古墳は昭和33(1958)年8月に行われた発掘調査で、玄室(げんしつ)の入口が左右に広がる「両袖式(りょうそでしき)」と呼ばれる石室であることがわかりました。巨大な花崗岩を積み上げて造られた石室は、全長17.32mもあり、このように大きな石室を備えている古墳は県内でも少ないようです。



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    墳丘の遠景
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    墳丘の北側
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    墳丘の西側

 羨道(せんどう)にはU字状に小石を敷き詰めた排水溝があったようですが、現在は水が溜っており、排水施設を確認することはできません。
 出土物は、刀の破片や長さ30 cmの鉄釘も見つかっています。この釘はおそらく木棺に使われていたものであると考えられ、この古墳に使用された木棺はとても立派なものであったと考えられます。
一方、玄室には3つの石棺が置かれていたということもわかっていますが、現在は奥壁近くに石棺の蓋だけが残っている状態です。
 出土物は、中央にあった石棺内に、須恵器や土師器の破片に混じって完形土器24個が置かれていました。他に円筒埴輪の破片が多数出土しており、これらの出土物と石室の構造から、築造時期は7世紀頃と考えられています。

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石室の実測図
(クリックで1/200スケールに拡大)

石室の築造と4つの棺
 発掘調査によって、この古墳の羨道が2回にわたって造られていたこともわかっています。最初は比較的大きな石を使って造られ、その後、新たに増築延長されています。この増築部分には1回目に造られたときのような大きな石が使われることはなく、小石を石垣状に積み上げて造られています。
 増築された理由としては、一度、石室に埋葬した後、同じ石室に違う人を埋葬したことが考えられます。しかし、どの棺を置いたときに増築されたのかということについてはわかっていません。このように、3つの石棺と1つの木棺が合葬(がっそう)されているような事例はそれほど多くありません。また、この古墳の被葬者については未だ明らかになっていません。



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羨道(南より)

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玄室(羨道より)

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玄室(奥壁側より)

おわりに
 茅原狐塚古墳は三輪山西麓に広がる扇状地上にあり、遠く二上山まで見渡すことができます。この古墳は、このあたりでも数少ない大型の石室を備えている古墳なので、山の辺の道からはちょっと寄り道になりますがおすすめの古墳です。石室内は奥壁の隙間から光が差し込んでいるので、懐中電灯なしで見学できます。また、付近にある茅原大墓古墳や弁天社古墳なども見学することができるので、興味のある方は是非訪れてみてください。
 見学の際はぬかるみや水溜りがありますので、足元に十分注意してください。


※今回の内容について詳しく知りたい方は、桜井市立埋蔵文化財センターの受付で販売している『桜井の横穴式石室を訪ねて』を参考にしてみてください。



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茅原狐塚古墳までの行き方

写真をクリックすると拡大します     (文責:公益財団法人桜井市文化財協会 西村知浩)

【参考文献】
・網干義教 1959「大和三輪狐塚古墳について」『古代学』第8巻第3号 古代学協会
・桜井市史編纂委員会 1979『桜井市史 上巻』桜井市役所
・丹羽恵二、木場佳子、中村利光 2010『桜井の横穴式石室を訪ねて』㈶桜井市文化財協会