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第6回 「江包・大西のお綱祭り」

はじめに
 今回のちょっと寄り道は、2016年に取材させて頂いた「江包・大西のお綱祭り」を紹介したいと思います。この江包(えっつみ)と大西というのは桜井市の北西部にある大字(おおあざ)のことで、初瀬川(大和川)を境界に北側を江包区、南側を大西区と分かれています。祭りは二つの地区の住民によって五穀豊穣や子孫繁栄を祈願して毎年2月11日に行われるもので「お綱はんの祭り」や「お綱はんの嫁入り」と呼ばれています。なお、この祭りは平成24年3月8日に「江包・大西の御綱」として国の重要無形民俗文化財に登録されています。

祭りの起源
 昔、初瀬川で大洪水があったとき、上流から素戔嗚尊(すさのおのみこと)と稲田姫(いなだひめ)の二柱の神様が流れてこられました。そのとき大西では稲田姫、江包では素戔嗚命をお救いし、それぞれをお祀りしたのが、大西の御綱神社と江包の素戔嗚神社だと言われています。そしてその二柱の神様が正月に御結婚されたことに由来して、このお綱祭りが始まったそうです。これに付け加えて、稲田姫が洪水の際に、蛇(ジャ)になって川を渡られたので、この行事が行われるようになったという言伝えもあるそうです。

お綱祭りの内容
 磯城郡内の古典行事や奇習をまとめた『和州祭礼記』(以下、祭礼記)によると祭りは毎年旧正月の10日に行われていましたが、現在は2月11日の祝日に行われています。大西区では稲田姫・女性を表す「雌綱」、江包区では素戔嗚命・男性を表す「雄綱」を稲わらで作ります。この稲わらはもともと各戸から持ち寄っていたそうですが、現在は近隣から手に入れているそうです。今回は綱作りの作業から見学させていただいた大西区からの視点で、御綱祭りを見ていきましょう。

①市杵島神社とお綱堂_mini.jpg
大西区市杵島神社拝殿(左)とお綱堂(右)

②御綱神社_mini.jpg
御綱神社

 祭り前日の2月10日の正午ころから雌綱作りが行われます。大西字堂垣内にある市杵島神社の中に御綱神社があり、同じ境内の「お綱堂」と呼ばれる綱作り専用のお堂で作られます。この綱作りには区内の住民が参加するのですが、その年に不幸のあった人は参加できません。 
雌綱は長さ約6mの舟形の本体に、引綱と呼ばれる長い綱がついています。舟形はわらを束ねて縛り、直径約25~30㎝の束にしたものを3本作り、さらにその3本に撚りをつけて1本の太い綱を作ります。長さが10mほどになったら折り返して舟形を作ります。この長さは巻き尺などで測るのではなく、お綱堂の梁に綱をかけた長さが基準になっているそうです。
 舟形の両端からそれぞれ綱が伸びていて、一方を舟形に巻き付けて本体を完成させ、一方を引綱として伸ばしておきます。また引綱には「ケ」と呼ばれるわら束を編み込んだもので長さが約50mもあります。この「ケ」は毛のことで、女性を象っている雌綱の陰毛を表現しているとのことです。祭礼記には「・・・六十餘間に及ぶ巻綱・・・」とあり、100m以上の長さがあったと記されています(一間=約1.8mの時)。
 こうして出来た雌綱を翌日の祭りに備えてお綱堂に納めるのですが、ただ納めるのではなく雌綱の頭をその年の恵方(2016年は南南東)に向けて納めます。最後にお堂に灯りを点して当日を迎えます。


③巻綱と舟形本体_mini.jpg
巻綱と舟形本体

④舟形撚り_mini.jpg
② お綱堂の梁に掛け、舟形を撚っていく

⑤本体製作途中_mini.jpg
③ 徐々に出来上がる本体

⑥引綱作り_mini.jpg
④ 引綱作り

⑦引綱と巻綱_mini.jpg
➄ 引綱(左)と巻綱(右)

⑧完成した舟形_mini.jpg
⑥ 完成した舟形

⑨巻綱を舟形に巻く_mini.jpg
⑦ 巻綱を舟形に巻いていく

⑩お綱堂の雌綱_mini.jpg
⑧ 翌日の祭りに備え、御綱堂に納められた雌綱

 祭り当日は、境内にある御綱神社には御幣が立てられ、神饌が供えられます。祭りの参加者は朝8時に市杵島神社に集まり、式を執り行ったあと直会(なおらい)があります。その後お綱堂から雌綱を担ぎ出して江包区にある素戔嗚神社へと出発します。このとき法被を着た人と着ていない人がいますが、法被を着た人は舟形本体を担ぎ、来ていない人は引綱を持ちます。さらに雌綱をお堂から出したとき、反時計回りに一回転させます。これはおそらく引綱が約50mと長いため、お堂からすべての引綱を出すためと考えられます。もしかすると、雌綱を蛇に見立てて、トグロを巻いた状態にするためなのかもしれません。
 それぞれが配置につくと、代々喜田家の当主が務める仲人と神職を先頭に素戔嗚神社へと向かっていきます。ただ稲わらとはいえかなりの重量(600㎏以上)があるため、途中で休憩しながら向かいます。この休憩の時、担ぎ手には酒が振る舞われ、人数が多いため一升瓶が次々と空になっていきます。市杵島神社から素戔嗚神社までは約1㎞のわずかな距離ですが、慶事のあった家々を回ったり、この祭りの見どころの一つである相撲が行われたりして時間をかけて移動しています。

⑪御幣と神饌_mini.jpg
⑨ 御綱神社に供えられた御幣と神饌

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⑩ 御素戔嗚神社へ出発

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⑪ 神職、仲人、大西区長を先頭に移動

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⑫ 舟形を先頭に引綱が続く

 相撲は田圃の上に、引綱を円形において作った土俵で行います。さらに土俵の中にバケツで数杯の水を撒くことで、より泥濘になった状態にします。そこで相撲を取ると全身に泥が付きますが、多く付けば付くほどその年が豊作になると言われています。またこの相撲は、この1年で、結婚した人、家を新築した人、子どもが生まれた人など福のあった人が取るもので、そういった人を祝福する意味もあるのではないでしょうか。

⑮土俵づくり_mini.jpg
⑬ 土俵づくり

⑯泥相撲_mini.jpg
⑭ 泥相撲(泥が付けば付くほど、その年は豊作
なると言われている)

 相撲が終わるとまた、休憩をはさみながら素戔嗚神社へと移動していきます。この素戔嗚神社の手前には「綱掛橋」があり、橋を渡る手前で必ず一度止まって、呼吸を整えてから渡ります。
 素戔嗚神社に到着すると雌綱は「入船の儀式」のために、神社の入り口にある古木に掛けられ雄綱を待ちます。このとき雌綱の巻綱をほどき、中の舟形が姿を現します。そして舟形を開き、雄綱を受け入れる準備が整います。引綱は綱掛橋の欄干に沿って伸ばして括りつけます。以前は橋のたもとに榎の古木があり、そこまで伸ばして結びつけていたそうで、現在よりも引綱が長かったとのことです。こうして準備している間に仲人が雄綱を呼びに行きます。雄綱とその担ぎ手たちは、神社手前の田圃で相撲に興じているため、仲人が来ても取り合わず、なかなか出発しようとしません。仲人が雄綱を雌綱の間を行き来すること七度半、ようやく雄綱が神社に向けて動き出します。神社の前に雄綱が到着するといよいよ「入船の儀式」が始まります。すでに開いて受け入れる準備のできている雌綱に雄綱が入れられ、二つの綱が一つになって古木に掛けられると両区の関係者全員で手打式を行います。
 その後、江包と大西の祭りの関係者が神社で式典が行われます。このとき神饌のほかに撚御供(ひねりごく)を献じて、神職による祝詞を奏上して神事は終了します。この撚御供は洗米を白紙に包んで撚ったもので、式典の終了後に関係者にお下がりとして配られます。

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⑮ 神社に到着後、舟形を開いて雄綱を待つ雌綱



⑱御綱到着_mini.jpg
⑯ 素戔嗚神社に到着した雄綱


⑲手打ち式_mini.jpg
⑰ 祭り参加者全員での手打式


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⑱ 一つになった雄綱と雌綱

最後に
 祭礼記には、辻本氏の調査当時(昭和15年2月)の御綱祭りの様子が描かれています。今回見学させて頂いた内容と照らし合わせてみると、祭りを行うのが旧正月10日から2月11日に移っていることなどがありますが、ほとんど変化していないことが分かります。また祭礼記にも記されていますが、古来より江包村(区)と大西村(区)の間では縁組されることはなく、もしも縁組すれば災難に遭うと言われています。おそらく大西区の稲田姫と江包区の素戔嗚命との年に一度の婚姻行事を神事としているため、両区での縁組は神を冒涜することになるとの考えで、現在も縁組されていないそうです。
 さて、この御綱祭りの行われる素戔嗚神社ですが、大和国条里復原図を見てみると小字名が「カン上」となっています。そのまま「かんじょう」と読むもので、第2回で紹介した「箸中のノグチサン」でも出てきた「カンジョ」と非常によく似た小字名です。これは祭礼記に「別の名を神縄祭(かんじょうまつり)と呼び、・・・」とあることから、どちらの小字名も神様を表した縄を祀る場所という認識からついた小字であると考えられます。また、ノグチサンは17歳の男子が行う祭りで、大人への通過儀礼の側面があると考えられ、一方御綱祭りもその一年で結婚・出産・新築した男性が主役になっているという点で、社会や共同体への仲間入りという側面を持っていると考えることができるのではないでしょうか。そして若者と年長者が一緒に行うことで、このような伝統行事は守られているのだと思います。
 最後になりましたが今回の祭り見学に際して、江包区並びに大西区のみなさんには多大なるご協力を頂きました。末筆ではありますが、記して御礼申し上げます。

御綱祭り地図(着色済)2.jpg

江包区・大西区の位置と雌綱のルート

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【参考文献】
『和州祭礼記』1944 辻本好孝 天理時報社
『大三輪町史』1959 大三輪町史編集委員会
『桜井市史 下巻』1979 桜井市史編纂委員会
『大和国条里復原図』1980 奈良県立橿原考古学研究所編

(文責 公益財団法人桜井市文化財協会 武田雄志)